
佐藤裕平(YUHEI SATO)
中国貿易マニア
3月11日と聞くと何を思い浮かべますか??
パッと思い浮かぶ方もいるかもしれませんね。
僕は2011年3月11日にあった東北の大震災以外に思い浮かぶことはありません。
僕の両親が東北出身で、父の故郷である岩手では小さい頃、毎年訪れて祖父母に会いましたし、
母の故郷である福島では初めてスキーを体験したり猪苗代湖で楽しく泳いだことを今でも忘れません。
そんな両親の元で育った僕は、2011年3月3日に僕は中国の北京に渡りました。
その一週間後に3.11の大震災があったのです。
その場にいないからこそ心配が大きくなり、何もできない自分の弱さと無力さを感じた忘れられない出来事です。
毎年3月11日になると、大震災の出来事が思い出され、黙祷する時間があります。
僕もちょうど同じタイミングで、「あ〜俺も中国に来てもう丸9年か・・・」
と振り返る瞬間なのです。
あれから9年。
長かったようであっという間なこの期間。僕は中国貿易マニアになり、今も中国貿易を深く体験し、仲間を増やし、サポートし、助けられ生きています。
中国人の奥さんと中国でも複数の家を持ち、中国語もできるようになった。
今年で10年目の中国貿易マニアです。
中国には少数民族が55あり、中には全く異なる言語を話す民族もいます。
東北語、広東語、朝鮮語。
中国という日本の14倍もいる人口と25倍の国土を持つ大きな国。
もっと知りたいと思って、朝鮮語(韓国語)も身につけている最中。
お陰で4ヶ国語の習得になろうとしている。
こんな体験をくれたダイナミックな中国を遊び場として、僕はこれからも誰よりも楽しく中国貿易を実践していくでしょう。
2020年からはアジア、特に中国、日本、韓国をメインに活動舞台を拡げて、「時間」「お金」「場所」「仲間」の4大自由を得ることを目指したクラブ「世界中でゴルフしよう(通称:セカゴル)」メンバーを増やせるように励みたいと思う。
▼ Yuhei Satoのプロフィール
神奈川県横浜市出身。サラリーマンの父と公務員の母の元に生まれごくごく平凡な家庭で育つ。
横浜翠嵐高等学校卒業、東京学芸大学卒業。20歳でアメリカに行きその後、アメリカ、韓国、中国にたびたび行くようになる。30代は世界を舞台に活動をしたいという想いから29歳で中国北京に単身で渡る。
当時、尖閣諸島の問題がピークに達しており、多くの日系企業の撤退や駐在員の帰国がある中、「このタイミングで北京に行く日本人は少ないだろう」と北京での語学留学を決断。
10代の大学生に交じって毎日12時間の猛勉強末に、0から始めた中国語ではあったが3か月後に弁論大会に出場し優勝。後期では異例の飛び級で中国語のみの授業に参加する。
10カ月の中国語勉強を終え、「中国進出を学びたい」と上海にて日系広告代理店で勤務開始。上場企業の中国進出サポートを行う。その後、2012年7月に珠海移住。同年12月に中国法人を設立。(現:珠海佳越貿易有限公司)
「中国の大量生産による安価提供と日本人の細かなサービスを合わせれば、安価で最高級の商品を届けられる」という想いから代行業をスタート。2017年2月現在で約100名のメンバーが中国から仕入れを行い日本をはじめ北米やヨーロッパでの販売をおこなっている。
「稼げない理由を排除する」という熱い想いを持って代行業だけでは収まらない独自の仕入れルートの提案や販売手法を開拓し伝播する活動中。
「人間はやりたいことを見つけてそれに注力した人生を送ることで輝く」というモットーに、中国だけではなく東南アジア、中東、ヨーロッパにも舞台を広げている。
2014年からビットコインマイニングを中国国内で始め、ブロックチェーンの魅力と可能性を感じ始める。
その一方で、2017年に中国貿易をサポート、コンサルしている。全くの中国輸入初心者メンバーがたった2ヶ月半の期間でOEM商品のリリース。1つの商品だけで月商150万円、利益率45%を超えるまでになり、定期的に中国市場アテンドの依頼を受けその度に結果を出している。
2018年7月中国輸入代行サービスVBCのメンバーの優位性をより持てるよう、義烏オフィス設立。2018年10月業界で最も安い国際送料を提供し、新規メンバーを3年ぶりに公で募集開始。新規メンバーが1日1人のペースで参加。
人口が減る一方の日本市場ではあるが、拡大する世界市場の開拓を行い日本の良き文化と伝統と商品を世界中に伝える活動をすべく、日々活動中。
将来は世界で輝く人材輩出を行いたいと学校設立を夢見ている。
中国貿易マニアへの道
リストラや廃業の不安を撲滅するための最短ルート



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